小6娘との貴重な時間★宝物
後になって大切だったと気づくこと「子どもとの時間」
昨日、小6娘の歯の矯正が終わりました。
小3から始まった矯正。
見た目、口腔内の違和感、治療費が結構💦かかること、3週間ごとに歯医者に通うこと等、本人も私も負担に思うこともありました。
始まったころはこれが3年間も続くのか、とよく思いました。
でも考えたら、金具が取れたり、フロスがしにくかったり、油断をすると虫歯になったりと娘の方が負担が私が思うより大きかったことでしょう。
中学に入る前に矯正が終わり、見た目もすっきりして、ああよかった、という程度にしか思っていなかった私。
すると歯医者の帰り道、助手席に座る娘が「ママ、ありがとうね。」と言ってきたんです。顔も見ずにまっすぐ前を向いていましたが。
なんともいえない、ぐっとくるものがありました。
だいたいすぐ泣いてしまうのですが、今回は運転をしていたのでぐっとこらえました。
この矯正、私だけの思いで進めたわけではなく、本人にも確認して始めたことですが、考えたら、たかだか小3の子どもがこの長い治療が想像できたかどうか…。
でもそんな想像力、その時に私にはなかったような気がします。
そして後になって気付くんです。
10歳にならない子どもに大人のような判断や行動を求めがちな親。
面倒だな、ああ仕事も忙しいのにしんどいな、早く終わらんかな…と自分本位な親。
長女に関しては、なんでそんなこと思ったんやろう、と後から思うことがたくさんあります。これが後悔というものなんでしょうね。
その分、次女にはちょっと甘いかもしれません。
保育園時代には人生の先輩たちから「あっという間に大きくなるから、大変やろうけど、子育て楽しみやあ」とよく言われました。
その時はわからないのですよね、必死で。
でも本当に二度と戻ってこないんです、あのかわいい子との貴重な時間。
なんで手をつなごうといわれたのにさっさとつないで寝なかったのだろう。
なんで絡めてくる足が重たいなあ、なんて思っていたんだろう。
今となっては手をつなぐこともおなかの上に足をのせてくることももうありません。消えていく宝物の時間。真っ最中には感じにくい貴重な時間。
車の中で幼い日の娘の姿を思い出していました。
もう遅いかもしれません。
だけど遅くないこともあるかもしれません。
なので、私は娘と過ごす一分一秒を大切にしていこうと努力をしています(努力というのが私らしいのですが…)。
朝の七時から夜の七時まで…。よく考えたらなんで他人と一緒にこんな長時間過ごしているんだろう…。今の家族の構成や夫の考え方等考えると、仕事を辞める選択肢はありません。
ならこの状況下でもなんとか時間を捻出しなくちゃ。せめてあと一時間早く帰ってこれるように取捨選択していかなくちゃ。子どもと一緒に過ごせる貴重な時間を作り出すために。
だけどさ、朝の本読みはさすがにやめてくれー、時間がないよ小6娘ちゃん。ママが帰ってきたらすぐやってくれないかな、本読みの宿題。あ、これも後になったら私には宝物かも。